九人の乙女の悲劇
「九人の乙女の悲劇」(真岡郵便電信局事件)とは、太平洋戦争終戦直後の1945年8月20日、南樺太の真岡郵便局で、ソ連軍の侵攻に遭った17歳〜24歳の女性電話交換手9人が職務を全うしたのちに青酸カリなどを飲み集団自決した悲劇です。日本の無条件降伏後(ポツダム宣言受諾後)に起きた事件であり、沖縄の事例になぞらえて「北のひめゆり」とも呼ばれています。
事件の経緯
- ソ連軍の侵攻:1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告し、樺太へ侵攻を開始しました。
- 戦火の中の職務:終戦を迎えた後も樺太では戦闘が続きました。8月20日早朝、真岡(現・ロシアサハリン州ホルムスク)の上陸作戦が始まると、交換手たちは避難せず、島内や北海道へ向けて「避難命令」や「戦況」を伝える電話回線をつなぎ続けました。
- 最後の通信:局舎にソ連兵が迫り、窓越しに銃弾が飛び交う極限状態の中、彼女たちは「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」という有名な言葉を最後に残し、用意していた毒薬を飲みました。
亡くなった九人の乙女(当時の年齢)
- 可香谷(かかや)シゲ(23歳)=班長
- 高城 淑子(19歳)
- 吉田 八重子(21歳)
- 志賀 晴代(22歳)
- 渡辺 照(17歳)
- 高石 ミキ(24歳)
- 木村 かよ(21歳)
- 松橋 みどり(17歳)
- 沢田 キミ(18歳)
当時、現場には12人の交換手がいましたが、1人は別の部屋で死亡、2人は毒を飲みましたが一命を取り留めました。
歴史的な背景と追悼
真岡郵便局の交換手たちは当時、国の通信を守る軍属(またはそれに準じる立場)としての強い責任感を持っていました。また、当時の国策による「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えや、ソ連兵への強い恐怖心が自決を選択させた背景にあります。
現在、北海道稚内市の稚内公園には彼女たちの霊を慰める「九人の乙女の碑(氷雪の門の隣)」が建てられており、毎年8月20日には平和祈念祭が執り行われています。戦後長きにわたり映画や舞台の題材となっており、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える象徴として語り継がれています。